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メディカルジャーナリズム勉強会レポート 米国ヘルスケア・ ジャーナリズムの潮流

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「健康格差」「医療保険制度の今後」をオープンな議論で前に進めるために

市川 衛 (メディカルジャーナリズム勉強会代表・医療の「翻訳家」)

いま国内・海外で、SNSやネット上のヘルスケア(医療・健康分野)情報が注目されている。

アメリカでは、麻疹や風疹の流行が再燃。その背景に、ワクチンの安全性を疑う投稿がSNSで拡散していることが指摘され、今年に入ってFacebookやTwitterが相次いで対策を発表するなどの動きが起きている。日本でもネット上に正確性に欠けるヘルスケア記事が多く投稿されたことなどを受け、2017年12月にGoogleがヘルスケア分野に関して検索アルゴリズムをアップデートすることを発表するなど様々な動きが始まっている。

ヘルスケアに関する情報は、命や健康に直結するものであり、また専門性が高い情報であるために、それをわかりやすく解説したヘルスケア記事には強いニーズがある。しかし、ひとたび正確性に欠ける記事が拡散してしまうと、とりかえしのつかない被害を引き起こすリスクもある。

ヘルスケア分野のジャーナリズムの質を少しでも高め、ひと筋縄ではいかない社会課題の解決の役に立つためにはどうすれば良いのか?

5月2日~5日、米ボルチモアで、ヘルスケア・ジャーナリスト協会(AHCJ / Association of Health Care Journalists)の年次大会「ヘルスジャーナリズム2019」が開かれた。

編集者から医師までが参加

集まったのは、世界18カ国800人以上の、ヘルスケア(医療や健康分野)に関わるジャーナリスト。ヘルスケア・ジャーナリズムの分野では、世界最大のイベントとされている。

・期待が高まる医療AI(人工知能)に未来はあるか?

・ワクチン忌避に報道はどんな姿勢で臨むべきか?

・がん免疫医療やゲノム解析など新しい医療技術の課題は?

・社会的な健康格差にどう立ち向かうか?

こうした、いまホットな様々な社会課題に関するセッションが開かれ、ジャ―ナリストと研究者や臨床の専門家が議論。さらに、ジャーナリストの育成を目指したワークショップ(データの分析法など)、そして公衆衛生の分野では世界的に名高い、ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院のフィールド・トリップなどが行われた。

今年の年次大会にはメディカルジャーナリズム勉強会から、私をふくむ5名が参加した。

バックグラウンドは、制作者、編集者、もと全国紙の編集委員、医師など非常に多様。

ヘルスジャーナリズム2019 参加者データ
(2019年5月2日〜5日 @アメリカ・ボルチモア/参加者数 約800人[18カ国])

会場でどのようなことが議論されていたのか、そしてヘルスケア分野を含む日本のジャーナリズムにおいて参考となることはないのか? ここから2つのトピックをレポートする。

セックスワーカー・乳幼児死亡に見るアメリカの健康格差の実態

松村 むつみ(放射線科医、医療ジャーナリスト)

わたしは、放射線科医として働く傍ら、様々なメディアで執筆活動をしている立場として、ヘルスジャーナリズム2019に参加した。この学会には、医師資格を持つひとも参加しているが、割合は決して多くはなく、プロのジャーナリストが多かった印象だ。また、女性の参加者が多く、賞の受賞者にも女性が多かったのは印象的だった。

現地のジャーナリストたちから医師をしている点で関心を持ってもらえた。会長のイヴァン・オランスキー氏も医師でありかつジャーナリストである。朝食会場では、アメリカのホスピタリスト(病棟管理を担当し、入院患者を診療する医師)と、労働時間や過労について話をした。過重労働の問題は、日本同様にアメリカでも関心が持たれているようであった(ちなみに、医療従事者の「バーンアウト」をテーマとするセッションもあり、アメリカ人のみならず、香港から来たジャーナリストも熱心に聴講していた)。

ボルチモアの街で肌で感じられた、深刻な格差

ヘルスジャーナリズム2019では、公衆衛生的な話題から先端医学にいたるまで、幅広くクオリティの高い講演が行われたが、テーマや医療制度の面など、いやおうなく、日本との背景の違いを感じさせられることが多かった。銃による外傷、鎮痛剤の一種「オピオイド」の依存症などの問題が大きく扱われるのも日本との違いだ。

アメリカ社会を象徴するものに、「格差」がある。年次大会は、ジョンズ・ホプキンス大学の協力のもとに開催され、筆者はジョンズ・ホプキンス大学へのフィールド・トリップに参加したが、大学の構内は非常に緑が豊かで、研究室もよく整備されていた。「学ぶ」ということに関しては申し分ない環境が整備されており、日本の大学で長く働いてきた身としてはうらやましく思った。しかし、構内を一歩出ると、周囲にはやや治安の悪いエリアが広がり、大学の周囲では銃撃や殺人の頻度も高い。年次大会では、このことを評して、「ジョンズ・ホプキンス大学は犯罪の”免疫”になり得ていない」と言った講演者もいた。

また、フィールド・トリップの一環として、SPARCセンター(Sex Workers Promoting Action, Risk Reduction, and Community Mobilization)という、ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院の運営する、女性支援施設も見学した。ボルチモアには多くのセックスワーカーの女性がおり、SPARCは2018年の設立以来、感染症などを適切に予防したり健康被害を低減したりする“harm reduction”の取り組みを行っており、延べ250人の女性を支援した。

SPARCでは水や食物の提供や、婦人科診察、衣服の提供なども行っている。セックスワーカーの女性の大きな問題のひとつとして、定まった住居を持たない人々が一定数おり、一方ではボルチモアには空き家も多く、彼らの住居の問題にも取り組んでいる。また、行政や、各種の適切な団体とのつながりも持てるような支援も行っている。

SPARCセンター外観

日本では乳幼児死亡率の地域格差拡大の可能性も

5月4日の昼食時に行われた基調講演では、ボルチモア健康局母子保健部門の副局長であるレベッカ・ディネーン氏が、ボルチモアの母子保健をテーマに話した。

ボルチモアでは、2009年、128例の乳児(1歳未満)死亡があり、102例の死産があったが、黒人の乳児死亡率は白人の5倍であった。ディネーン氏は、乳児死亡の原因として、早産や、睡眠中の死亡などが挙げられるとし、黒人の乳児死亡率が高い理由としては、単純に貧困や教育のなさが原因ではなく、人種差別による孤立やストレスにも起因していると強調した。ボルチモア市では、これらの原因を踏まえ、政策決定をし、行政や地域における支援を行った(詳細)。その結果、2009年から2017年の間に、乳児死亡率は36%低下し、中でも睡眠中の死亡は29%減少したとのことであった。

一方、乳児死亡率は、日本は世界最低レベルを誇っている。特に生後28日以内の新生児死亡率に関しては、2018年のユニセフの発表では、日本は出生1000当たり0.9人であり、安全な出産が行われているといえ、産科医療の世界に誇れるポイントではないだろうか。しかし、その一方、2000年代に入り、子どもの健康において、日本においても地域格差が拡大している可能性が指摘されている。

国立成育医療研究センターのグループは、2017年に、日本の115年分の人口動態統計調査による大規模データを利用した分析を行い、Pediatrics International誌に発表した

この論文によると、各都道府県の5歳未満死亡率は、1899年の、238人(出生1000対)から、2014年の3人まで一貫して低下した。一方、都道府県間の格差を示す値は、第2次大戦後に上昇して1962年にピークに達した後、1970年代には非常に低い値に落ち着いたが、2000年代に入り、5歳未満死亡率の持続的な低下傾向にもかかわらず、都道府県間格差の拡大がみられ、2014年には、第2次世界大戦以前の値に近くなっていることが示唆された。成育医療研究センターは、この結果について、要因についてはより詳細な検証が求められる、とコメントしている。

日本においても、近年、格差の拡大や子どもの貧困が話題になっているが、貧困も、都道府県格差の原因として考えなければならない要因のひとつだろう。もちろん、アメリカと日本では社会的背景があまりにも異なっているので、ただちに日本でアメリカのような健康格差があらわれるとは考えにくいが、産業構造の変化などによって、日本でも今後はさらなる格差の拡大が懸念されており、乳幼児の健康においても、政策面から、自治体および政府が対策を考えておく必要があるのかもしれない。

米国の歯科事情と日米比較論の落とし穴

秋元 麦踏(書籍編集者・生活の医療社代表)

「ヘルスジャーナリズム2019」では、開催地のボルチモアという土地柄もあり、人種、経済、地域による健康格差がメインテーマの一つとして扱われていた。本稿では、アメリカにおける健康格差、特に、オーラルヘルス(歯や口の健康)の格差についての議論を取り上げる。そこには日本では身近な「歯医者さんへ行く」のとは全く違うアメリカの現実があった。

オーラルヘルス格差という当たり前

アメリカにおけるオーラルヘルスの格差は、あまりにも当たり前である。昨今、連邦議会でも頻繁に論議されている単一支払者制度(single payer system)や国民皆保険制度の「不在」が前提としてあり、多くの国民は個人で民間保険に加入するか、勤務先や所属団体の団体保険に加入している(団体保険に民間保険を追加するケースも多い)。その上、歯科医療の扱いは民間保険の多くではプラスアルファのオプションで、そのオプションにもグレード分けがある。

団体保険も一部の高所得層を除くと、歯科医療に対する適用範囲は極めて限定的である。低所得層や貧困層にとっての最後の砦といえる公的医療保険のメディケイド(Medicaid)は、小児の治療は保険適用対象としているものの、メディケイドの加入者にとっては、一部負担金が重くのしかかり、歯科受診に二の足を踏むのはありふれた光景である。結果的に、多くの国民が歯科医療保険に未加入か、適用範囲の狭い保険に加入しているか、歯科診療が保険でカバーされていても実際には受診できない状況にある。未処置のむし歯を有する子どもの割合は、15%を超え、低所得層では25%と高所得層(11%)の2倍以上となっている。

むし歯が発端となった脳の感染症

そのような状況が生んだ悲劇として、近年最もセンセーショナルに報じられたのが、ディアモンテ・ドライバー君(当時12歳)の重度に進行したむし歯に端を発した、脳の感染症による死(2007)(ワシントンポスト掲載の第一報、ガーディアン掲載詳報※)である。このニュースは、英語圏では「米国の保険システムの穴が生んだ悲劇」として一般紙でも大きく取り上げられたが、ドライバー君とその家族が暮らしていたのが、メリーランド州だった(開催地のボルチモアは州内の最大都市)。こうした背景もあり、『地域保健診療所におけるオーラル、プライマリ、メンタルヘルス診療の取り組み』のパネル討論では、ドライバー君の悲劇を繰り返さないための決意表明ともいえる取り組みが紹介された(タイトルにあるメンタルヘルスはほとんど触れられることがなかった)。

※筆者のメアリー・オットー氏は、AHCJのオーラルヘルス部門の責任者で、年次大会のオーラルヘルスのセッションでは、今年を含め毎年モデレーターを務めている。

保険システムの敗北とパッチワークとしてのコミュニティーヘルスセンター

パネリストの一人、歯科医師のフィリス・コロンバロ氏はデラウェア州(メリーランド州に隣接する)のヘルスセンターでの取り組みを紹介した際、「なんぴとも断らないこと」、特に「歯痛で顔が腫れている患者をプライマリ・ケアで見過ごさない、そのままは帰さない」を強調していた。より専門的な処置が必要な場合には、外部の歯科医を紹介するが、その際にも工夫がある。「ヘルスセンターで治療が出来ない場合は、当日診察してくれる診療所を探す(99%見つかるようになった、とのこと)。

『炎症があるから、痛み止めと抗生剤を渡します。2週間後に○○クリニックへ…』ではダメ、少し痛みが収まったから予約はキャンセルなんてことよくあって、それでERに運び込まれては元も子もない。」

このような、経験に基づく小さな配慮や積み重ねが一度の診療の結果を大きく左右するのだろう。また、ニールシュ・カルヤナラマン医師は同じセッションで、自立支援の一環として、ホームレス患者に義歯治療を提供し、その後患者の生活が大きく変わった例を紹介した。

これらの取り組みが、保険未加入の人や自己負担金を捻出できない人に対し歯科診療の門戸を開いているという意味で、大きな意義を持っているのは間違いない。ただ、保険の加入の有無を度外視した低所得・貧困層に対する公的な医療サービスが質、量ともに十分であれば、そもそもアメリカの健康格差は問題になっていないはずである。

実際、問題視されている歯科医療へのアクセスは「抜歯が必要な人が、抜歯の処置を受けられるか」や「歯科疾患が原因の救急受診を減らせるか」が基準になっており、予防的ケアや患者教育もミッションに掲げられているものの、実態としては救急対応の域を出ない。これは、日本人の多くがイメージする歯科診療、例えば、むし歯や歯周病の予防や修復治療とは大きく異なる。日本では、抜歯=「むし歯の治療」という考えはあまり一般的ではないだろう。

「自費vs.保険治療」や「アメリカンスタンダード」を越えて

このように、アメリカの歯科医療へのアクセスは日本のそれとは比較にならない。ただ、この前提に触れることなく、「自費vs保険治療」というような文脈で、実際にはアメリカの高所得者層しか受けられない治療が「アメリカンスタンダード」として示され、日本の保険診療の質が批判されることも珍しくない。そもそも、日本の歯科の保険診療が「質が低い」あるいは「最低限の治療」と少なくない歯科医師によって揶揄される状況に捻れがある。質が高いとされる「現行では自費で行われている(補綴)診療」を保険適用にという声は決して大きくない、そうした背景を鑑みずに「自費vs保険」というような対比はフェアではない。

もちろん、個々の患者にとっては意味を持つ比較となりうるが、ヘルスケア・ジャーナリズムという観点に立てば、保険制度を含む社会的背景を無視した比較はバランスを欠いているように思う。

では、日本でもオーラルヘルス格差は問題になっているのか?

世界でも稀な、幅広い歯科治療をふくむ皆保険システムがありながら顕在化しているオーラルヘルス格差(日本でも、世帯収入300万円未満の層では、世帯収入300万円以上の層と比べ、未就学児の未処置のむし歯が顕著に多いという報告もある)は、保健政策的にも重要な課題である。また、皆保険システム下における医科と歯科の連携の取り組み——例えば、脳卒中などの急性疾患の急性期・回復期における連携、さらには、高齢者のオーラルフレイル(話す、飲み込む、食べるなど口の機能の衰え)への対応策としてのプライマリ・ケア(あるいは、かかりつけ医)と歯科診療所の連携など——は日本がその効果や課題を提示していく責を担っている。今回、アメリカにおける当たり前のようにある格差とそれに正面から向き合う医療者の取り組みや報道に触れ、メディカルジャーナリズムにおける社会的要素の重要性を改めて認識する機会になった。

最終日の「システマティック・レビューの健康に関するデータをニュース記事へ翻訳する」
のセッションで登壇者に質問する秋元

<本稿を書くにあたり、Mary Otto氏より多くの助言をいただきました。ここに感謝申し上げます。>

国を超えて、組織を超えて、立場を超えて「より良くする」方法を学び合う

市川 衛

「ヘルスジャーナリズム2019」を主催したヘルスケア・ジャーナリスト協会は、米ミズーリ大学に本部を置く非営利組織だ。アメリカを中心に1500人を超えるジャーナリストや教育者が会員として登録している。

協会の目標として、次の点が挙げられている(公式HPより・全6項目より抜粋)

・取材者と取材対象者(情報源)とが、どうすればより社会の役に立てるかを理解しあう手助けをする(To promote understanding between journalists and sources of news about how each can best serve the public.)

・健康とヘルスケアのあらゆる側面をカバーするジャーナリストのための専門能力開発の機会の向上を提唱する(To advocate for the improvement of professional development opportunities for journalists who cover any aspect of health and health care.)

「立場の枠を超えて、社会のために貢献する場を作る」こと、そして「ジャーナリストが専門性を高められる場所を提供すること」を大きな使命としているわけだ。

医療ジャーナリズムに今、必要なこと

ヘルスケアに関する社会課題は、様々なものがある。いま日本でも話題になっている「ワクチン接種」や「認知症のケア」さらには「健康格差」「尊厳死・安楽死」などの課題は、利害関係者が多く、しかも意見も立場によってバラバラであることが少なくない。わかりやすく正論に見える意見が、実は偏っていて、社会課題の前向きな解決にはむしろ阻害要因になることも少なくない。

メディアなど情報を発信する側に求められるのは、多様な立場の人に取材して意見を聞き、熟考したうえでより良い議論の材料となるものを報道することだ。

しかし、それには少なからぬ専門知識が必要になる。

特に、マスメディアに属していないフリーライターなどの立場にいる人にとっては、そうした専門知識を得られる場や、より良い発信のあり方について議論する場が足りないというのが現状だ。

その結果として、発信者自身は「良かれと思って」いたにもかかわらず、偏った情報を報道・拡散してしまうかもしれない。また医療技術の進歩などにより情報の専門性は増すばかりで、適切な情報を見極めて報道するハードルは高まり続けている。

ヘルスケア・ジャーナリスト協会の創立メンバーで、現在のエグゼクティブ・ディレクターであるレン・ブリュジーズ氏に話を聞くと、この団体を設立したきっかけこそが上記のような問題意識であり、その解決のために20年にわたって活動を続けていると教えてくれた。

日本のヘルスケア・ジャーナリズムの質を高めるためにも、同様の取り組みが求められる、そのことを痛感させられた経験だった。

メディカルジャーナリズム勉強会からの参加者 
左から浅井文和、松村むつみ、大脇幸志郎、市川衛、秋元麦踏